今日考えたこと

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室町時代

香西氏の動向は、細川氏の動向と同期しており、さらには室町幕府の動向と同期している。

元来、北朝方の武家であり、建武の新政観応の擾乱細川氏と関連して、少し登場してから義持期までは、ほぼ表舞台に登場しない。
その期間の転機となったのは康暦の政変であり、細川頼之が失脚し一族と共に讃岐に移ったことで、讃岐にいた香西氏と細川氏との絆が形成されたと考えられ、細川頼之が京都に戻った後に、細川氏が守護を務める丹波、摂津、山城、和泉などにおいて、常建をはじめとする香西一族が守護代を務める、などの史料の記事が目立ち始める。
康暦の政変から100年後の細川政元管領を務めた時代には、元長をはじめとする一族の史料登場頻度が激増する。
ところが、細川政元を殺害後、細川高国・澄元に敗れて京都からはほぼ姿を消す。
戦国後期には、幕府と細川京兆家に同期して衰亡の一途をたどり、天下統一期には秀吉に降伏して野に下っている。

こうして整理してみると、香西氏の活動は、室町時代細川氏室町幕府の動向と密接に関係していることが、よくわかる。