今日考えたこと

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科学における数の使用とその背景について

数を数えることは、両手の指を利用することで始まったと言われている。その際の数える対象は、身の回りの仲間や動物や植物などの同一種類に分類されたモノの集まりである、のが自然な考え方であろう。言ってみれば、人類の経済活動にかかわる対象に対して数が適用されていた。経済的対象ならば、貨幣や財など同一種類とみなすモノの集まりの存在が前提としてあり、そのような対象への数の適用に問題は存在しないと考えられる。

つまり数は同一種類のモノの集まりの存在が前提されて初めて適切に使用されるものであり、同一種類かどうか完全な検証が不可能なモノ、の量を管理するのは数には荷が重いのではないかと考えられる。

物理学などの自然科学で使用されている数は、時間や空間などの大きさの尺度として使用されていたり、モノの大きさや重量の尺度などに使用されている。そうすると、時間や空間やモノの大きさや重量などは、同一種類の対象の量を表している、ということが暗黙裡に前提されていることに気づく。つまり、物理学などの自然科学で数が使用されている事実には、その使用前提として、自然界の対象は同一種類の尺度で管理できる、という考えが暗黙の前提として付随する、ということになる。

別の言葉で言うと、同一種類ではない複数の空間や時間や、同一種類でないモノの大きさや重量を、数という道具を媒介にして、統一尺度で管理するという考え方に基づく方法論が背景にあるということになる。

ここでは、複数種類の空間や時間や大きさや重量の存在が、科学者たちの先入観のような常識的判断により暗黙裡に消去あるいは適切に調整された尺度に変換されていることになるが、それは仮説と呼ぶべき判断であり、理論が実験結果と食い違わない限り有効であり続けることになる。

ということは、この仮説が無効になるような現象があれば、数をそのような現象を説明するのに使用するのは有効ではなくなる、ということになる。また、数を使用している科学理論は、同一種類とみなすことのできる空間や時間、同一種類とみなすことのできるモノの大きさや重量のみを対象として扱う、制限付きの理論、ということになる。

現状の物理学を例にとると、この仮説が無効になるかもしれないような場合は発見されていないように見える。そのため、数の、すなわち数学の、自然科学への適用の有効性が否定されるような事態にはなっていない、と思われる。