今日考えたこと

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数学と力学の関係について

時間とは、人間が観測した事物のうち規則的に繰り返すと見なされた事象を管理するために発明された、空間に類似した別種の座標軸と考えれば、わかりやすい。

当初は、現代科学でいうところの地球の自転と公転により規則的に生成されるように見える日と年が定義・常用化されたと思われる。次いで、それらを細分化した時、分、秒が定義され、今では特殊な環境に置かれたセシウム原子の規則的とみなされる振動を元に時間の目盛りが厳密に定義されている。以上から、時間を記述する道具として、数学の親和性は高いと思われる。

同じように、空間についても、幾何学により研究されてきた経緯とも合わせて、均一な対象の管理を得意とする数学との親和性は高いと思われる。

ところが、質量についてはどうだろうか。「質量」は、もともと筋肉感覚からのアナロジーで生まれた概念と思われるが、果たして数学で記述することに問題はないのだろうか?あるいは、力学法則によって質量が定義されているので、本来の自然現象ではない何かを記述するために定義された道具である、というような考え方も可能である。
さらに考えを進めると、「質量」とは何であるか、という根本的な問題にたどり着き、そこでは、自然界には存在しない仮想量である、という考えが可能である。

「力」についても同様の考えが成り立つと思われる。

以上より、力学の数学的取り扱いの面から考察すれば、時間や空間は数学による取り扱いに対して親和性が高い。一方、質量や力は、筋肉感覚の抽象から生まれ、数学的表現により定義された力学法則により算出可能な数量をその大きさとして便宜的に付与された仮象、と考えれば力学法則に対する論理一貫性のある理解が可能となる。

質量や力は、数学を使って時間、空間との関係で定義されるものであり、人間の感覚で直接感じられる事物とは違う世界に属する事物である、と考えるのが適切であろう。

感覚で直接感じられない、という性質は、時間にも当てはまる。
時間は恣意的に選択された自然現象を介して間接的に感覚できる事物である。

空間は、視覚で直接得られた感覚を抽象して得られた事物であるため、時間や質量や力のように複数段階を経て得られた事物とはレベルが違う、感覚的・直感的に理解できる事物であると考えられる。

そういうわけで、質量と力は、任意の空間の大きさにおいて、既定の周期的運動が一定回数繰り返される間に、観察された力学的自然現象を介して、数学的に定義される仮象物である、という理解が論理的には成り立つように思える。